しめやかに中田達也さん告別式 地元・北九州で
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6日の宮島ボートのレースで落水して他艇と接触し、外傷性脳損傷のため29歳で亡くなった中田達也さんの葬儀・告別式が11日、北九州市で営まれ、家族や選手仲間たちが早過ぎる別れを惜しんだ。
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中田さんは北九州市出身。小倉商高を卒業し、113期としてボートレーサー養成所に入所。2013年11月のデビュー後は早くから活躍し、通算7度の優勝、G1で2度の優出などの実績を残した。将来のボートレース界を背負って立つ期待の若手だった。
■後輩思いの努力家
【悼む】 担当する福岡ボートで一報を聞いた際は耳を疑った。取材中にも数々の大事故を目の当たりにしてきたが、とりわけスピードが乗る直線での事故は危険度が高く、今回も映像を見た瞬間に事態の重さが判断できた。「何とか無事であってほしい」と心から願ったがその思いは届かなかった。
中田達也選手は113期の養成所で7.69の高勝率をマーク。在校1位となり卒業記念レースでも優勝。“艇王”の愛称で時代を築いた植木通彦氏と同じ小倉商高ということで“植木の再来”とも言われ、鳴り物入りでデビューした。
この経歴を聞くと天才肌に思われるが、実際の姿は努力家。厳しい指導で知られる塩田北斗に師事し、寸暇を惜しんだ練習の積み重ねで現在の地位を築いた。塩田からはレースの技術に加えて後輩思いの面倒見の良さも継承。まな弟子となった松尾怜実の指導にも力を注いでいた。松尾がデビュー244走目で水神祭を達成した際には、「時間がかかりすぎ。やっとですよ、やっと」と厳しい言葉を放ちつつも、「本当に一生懸命練習しているし、よく食らいついている。彼女は必ず強くなりますよ」と目尻を下げていた優しい表情が、今となっては忘れられない。
来年1月からは“超一流”の証しである7点勝率でのA1復帰が決まっており、大きな飛躍が期待されていた直後のいたたまれない事故だった。取材対応も素晴らしい人間性も備え、未来の福岡支部の屋台骨を支える選手になったのは間違いない。私ごときの悲しみなど、ご家族やレーサー仲間の悲しみとは比べものにもならないが、どうか安らかに眠ってほしい。そして、天国から愛する家族や仲間を見守ってほしい。合掌。 (ボート担当・森大輔)